フリートークその2

「呪い」も「祝い」もつくりは同じ-「キャプテン翼世界の監督たち」の元ネタとなった監督の皆様方のこと-

(前略)
モデルは登場当時、現実の日本代表監督を務めていた加茂監督と見られるが、このキャラが出てきて間もなく、加茂監督は更迭。ドカベンの呪いに劣らぬキャプ翼の呪いを見せつけた格好だ。

(外道竜神ホームページ、キャプテン翼のページ内、"キャプテン翼大辞典カ行 賀茂港"より)

>ドカベンの呪いですが、流石に命をおとしたまでは聞いたことはないですが、
寺原とか、日ハムの中田とか、ドカベンで高い評価になると現実ではひどい目に
あうってイメージですね。
>中日だと、平田が漫画で持ち上げられたとたん故障なんてのもありました。
(同趣味のページの掲示板より、外道竜神様、雑音領宛てレスポンスより)

このことで、何となく引っかかる物があって、
「そう言えば、"Roadto2002"にも実在人物をモデルにした監督が何人かいたなぁ("反町一樹(中学編時代から登場した選手)"のモデルが"反町康治"監督だったなぁ(現在リンク切れの"キャプテン翼アカデミア"より))」
と言うことから、反町監督以下、キャプテン翼に出てくる監督の元ネタになった監督たちについていろいろと調べてみた。
(実績等については2014年5月30日現在、また、Wikipediaの各当該人物の記事を参照・引用)

・その1 反町監督のこと
1.アルビレックス新潟時代('01-'05)
キャプテン翼との関係:本編に登場せず。
'03年にJ2優勝(J1昇格)。'04'05年と残留に成功させアルビレックス新潟J1定着への礎を築く。
2.オリンピック代表時代('08北京オリンピック)
キャプテン翼との関係:ちょうどこの時期、"GOLDEN U-23"連載中
アジア予選こそ突破した物の、本戦では三連敗と、
「反町がベンチに座っていて("ワールドユース編"以降反町選手は基本的にベンチ要員)、翼君がフィールドにいなかったら、何もできない方がむしろ正しい
を地で行く三連敗。
3.湘南ベルマーレ時代('09-'11)
キャプテン翼との関係:改称されてからは、なし("ワールドユース編"にはベルマーレ平塚時代に三杉が学生Jリーガーとして入団したことがあるが)
'09年、J1復帰。'10、J1残留に失敗して降格。
捲土重来を計る'10年末。
2010ベルマーレクイーン&マーメイド 感謝の集い」開催のお知らせに合わせて、
>また、ベルマーレクイーン&マーメイドが『キャプテン翼』の作者、高橋陽一先生に自らお願いして描いていただいた原画をもとに製作された本イベント限定の特別グッズ(限定Tシャツ50枚、限定ポスター100枚)にメンバー全員の直筆サインを入れて販売いたします。
その結果、'11年にJ1昇格に失敗して、そのまま退任。
4.松本山雅FC時代('12-)
キャプテン翼との関係:キャプテン翼には未登場だが"誇り-プライド-"の番外編に故・松田直樹選手のエピソードに最終所属として登場。(漫画ゴラクに12頭身の松田直樹に捧ぐ読みきりが掲載! - SOCCER UNDERGROUND BLOGより)
'12'13と昇格失敗('13はプレーオフの一歩手前まで言っていたのだが)。
'14は反町監督自身勝負の年だと言っていて、現在プレーオフ圏内の3位(42試合中15試合終了)だが、さてどうなるか。

・その2 "エル・クラシコ("Roadto2002")"の関係者たちのこと
1.ファン・ハール監督("Roadto2002"FCバルセロナのファンサール監督の元ネタ)
'00年にオランダ代表監督に就任→'02ワールドカップ欧州予選に敗退して解任。
'02年にバルセロナの監督に復職→1シーズン持たずに解任。
その後'05年にAZアルクマールの監督に復職して'08-'09シーズンに優勝。
'09年からバイエルンの監督に就任する('09-'10シーズンは優勝)も'10-'11シーズンを全うできずに解任。
'11年、アヤックスのフロント入りの話が出るも、すでにフロント入りしていたクライフに裁判に訴えられてお流れに。
'12年にオランダ代表監督に再任。今度は予選突破。

2.デル・ボスケ監督("Roadto2002"レアル・マドリーのデラ・バスケ監督の元ネタ)
'02-'03シーズン終了後にリーグ優勝するも解任。
'04年にベシクタシュ(トルコ)の監督に就任するも1シーズン持たずに解任。
'08年にスペイン代表監督に就任すると、'10ワールドカップ、'12欧州選手権を優勝(監督として両方優勝したのは当時西ドイツのシェーン監督につづいて二人目)。

3.グアルディオラ監督("Roadto2002"のFCバルセロナキャプテン、グランディオス選手の元ネタ)
'08年、ライカールト監督("Roadto2002"の特別対談で陽一先生と対談した)の後任としてバルセロナの監督に就任すると、'09年に'08-'09、'09-'10の2シーズンにまたぐ同一年全タイトル(リーグ、国王杯、チャンピオンズリーグ、スペインスーパーカップ、UEFAスーパーカップ、クラブワールドカップ)を制したことを始め、バルセロナ常勝時代を築く。
'12年にバルセロナの監督を退任後、一年休養して、
'13年にバイエルンの監督に就任してリーグ制覇。

・その3 イタリア人監督監督の場合
1.アンチェロッティ監督("Roadto2002"ユベントスのモネッティ監督の元ネタ)
ユベントスの監督としてはタイトルを取ることができずに解任。
その後、パルマの監督に就任する直前にACミランの監督として引き抜かれ、チャンピオンズリーグ優勝二回、リーグ優勝一回。
'09年にチェルシーの監督に就任。リーグ優勝一回、FAカップ優勝一回。
'11年シーズン途中にパリサンジェルマンの監督に就任。リーグ優勝一回。
'13年レアル・マドリー監督に就任。'13-'14チャンピオンズリーグに優勝。

2.リッピ監督("Roadto2002"の文中、モネッティ監督の説明で「ユベントスに黄金期を築いた」とあるので彼も元ネタの一人かと)
ユベントスの監督を解任されて'98年にインテルの監督に就任した物の、一年目はリーグ四位、二年目のリーグ開幕戦で解任。
その後、アンチェロッティ監督の解任を受けて'01年にユベントスの監督に復帰。リーグ優勝二回、チャンピオンズリーグ決勝進出一回。
ユベントスの監督退任後にイタリア代表監督として'06W杯優勝。ドナドーニ監督の後を受けて挑んだ'10W杯ではグループリーグ敗退。
その後広州恒大監督としてアジアチャンピオンズリーグ優勝。

3.カペッロ監督("ワールドユース編"当時のACミラン監督(未登場)。"Roadto2002"のカルロッペ元ローマ監督の元ネタ)
ローマの監督中にユベントス(リッピ監督二回目の退任後、'04年)に引き抜かれてリーグ二連覇……した物の、カルチョポリ(ユベントスほかのクラブフロントと審判、主に人事部との癒着の発覚)の発覚と同時に監督を辞任、ついでにリーグ二連覇も無効扱いに。
'06年に就任したレアル・マドリーではリーグ優勝した直後に「タイトルを取ってくれたので、これからは我々らしいサッカーを追求する(後任のシュスター監督就任時の会長挨拶)」と言う珍妙な理由で解任。
'08年にイングランド代表監督に就任'10W杯に挑んだら誤審(明らかにゴールに入ったシュートをノーゴールにされた)にリズムを狂わされてベスト16敗退、EURO'12本戦前にイングランドサッカー協会の人事介入(テリーの舌禍によるキャプテン更迭)にキレて辞職。
'12年にロシアの代表監督に就任、'14ワールドカップ予選突破。

4.ザッケローニ監督("Roadto2002"翼をバルセロナからACミランに引き抜こうとして肘鉄を食らわされた)
'98-'99シーズン("Roadto2002"掲載直前のシーズン)に優勝した後、成績が右肩下がりになったためACミランの監督を解任。
その後は暫定監督家業を続ける(なにげにACミランとインテルとユベントスの監督を全部務めたことがある。彼のほかにはトラパットーニ監督のみ)も定着しきれず。
その後'10W杯後に日本代表監督に就任。就任早々にアルゼンチン代表を破る、'11年アジアカップ制覇など。'14ブラジルワールドカップも予選突破。

・結論

キャプテン翼に登場する海外の監督の元ネタになった人物は、単純に呪われたとは言いがたいが、日本人監督(加茂・反町両監督)は確実に呪われた。
こう書くと、ホントに身も蓋もないなぁ……。
(2014年5月31日、初出 外道竜神ホームページ、趣味のページの掲示板。サイトに公開するに当たって加筆修正)

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