帰省日記(平成14年8月3日〜8月9日まで)
・8月3日(土曜日)
日付が変わって(作業着・普段着などの洗濯のため)今日になって寝て起きたため、頭がぼんやり。
午前中は普段着の洗濯と、ネットサーフ。
10時半過ぎになって職舎をでる。
12時の上越新幹線で東京駅を出発。
14時30分頃新潟駅着。
14時45分頃新潟駅発。
15時15分頃新津駅着。新幹線の車中で実家に連絡した際、新津駅から津川駅への路線の連絡が悪く、新津駅での待ち時間が長いということを話したら父が「新津駅まで迎えに行く」ということになっていたので父の車に乗せてもらって実家着。
実家へつくと、疲れがたまっていたのと、寝不足だったのでそのまま夕飯まで昼寝。おかげでSL「ばんえつ物語(新津−会津若松間を走る期間、運転日限定のSL)」を見逃す。
・8月4日(日曜日)
朝早くから長岡のTRPGコンベンション参加のためでかける。
長岡駅ビル内の「良寛様」を「小林虎三郎」と誤認する。
「良寛様」の立像。断じて「小林虎三郎」ではない。
途中長岡城跡の碑があったので撮影。
左・長岡城二の丸跡に建てられた碑。右・長岡城唯一の遺構である「城内稲荷神社」
TRPGのセッション(「GURPS」ルール使用のファンタジーTRPG)はあわや迷宮入りというとんでもない結末となるところだった。
魔術の生け贄にされる少女(依頼人の妹)を救うという、オーソドックスな話のつもりが、
見込み捜査で中ボスを誘拐して尋問、ラスボスの護衛の存在とその少女がどこにいるのかを確認することを失念したまま、ラスボスの私邸(表向きは、その町の顔役)に突入。大騒ぎになった末に(こちら側が)逮捕、その町から追放という、どこでどう間違ったのか(本来、生け贄の儀式の舞台で「待ち伏せる」策をとるべきところをラスボスの私邸を強襲する策をとってしまったことか?)とんでもない展開となってしまった。
帰り道、乗り換えの新津駅にて「トワイライトエキスプレス」が停車したので、思わず撮影。
真っ暗ですが、左上・右は「トワイライトエキスプレス」の前方と後方、左下はロゴ
津川駅に着いた際にバスがなかったので実家まで歩いて帰る。歩いて帰りながら津川の町並みを見ると、昔とは変わったところ、昔と少しも変わらないところ、昔あったものがなくなっていたところなど、いろいろと気づく。
・8月5日(月曜日)
3,4日の疲れがたまっていたのか、あっけなくダウン。
・8月6日(火曜日)
午前半日は、家でじっと。
午後、昼寝の後で、津川の町をぶらぶらと出かける。
上町(実は地名の方がわかりやすい)の金鉢清水。
日本三大河港の一つ(ほかは岡山の旭川と千葉の利根川)津川の河港跡から麒麟山を望む
津川代官所跡の碑(現在の狐の嫁入り記念館・津川町公民館のあるところ)
麒麟山にて、鍵をなくした、なくしたといってさんざん騒いだら、実はズボンの尻ポケットの中にあったという(^^;;)。
津川城(狐戻城・麒麟山城とも)本丸跡の碑(左・右とも)
麒麟山本丸跡近くの「金上稲荷神社」の由緒書き
左・本丸跡の展望台より、きりん橋を望む。
右・麒麟山の頂上より津川小学校を中心に津川の町並みを望む
津川で、長岡や新津で手に入らなかった「Gun」を入手。これにはびっくり。
・8月7日(水曜日)
地元の友人の車に便乗する形で新潟市街へ。
古本屋やアニメイト新潟店(地元の友人はユニクロも)などをぶらぶらと。
昼間のうちにビッグスワン(新潟スタジアム、この日サッカーJ2のアルビレックス新潟対モンテディオ山形戦が夜に行われることになっていた。筆者が新潟に出たのはそれを観戦するためでもある)で記念撮影。
車中にての会話
私:「Kanonやった?」
友人:「舞と名雪でクリアしたけど」
私:「あゆは?」
友人:「誰があんなたい焼き食い逃げ娘を落とすか!」
私:「じゃあAirは?」
友人:「ヒロインが全員精神分裂症気味だって話を聞いたことがあるから…」
私:「それ(精神分裂症気味の女を落とすこと)ほど暇じゃないってか?」
友人:「ああ」
サッカーの試合終了後、実家に戻る。(サッカーの試合についてはこちらを)
・8月8日(木曜日)
実家で留守番。
・8月9日(金曜日)
帰京する日。午前半日はぼんやりとしながら、荷物の整理などを。
昼過ぎ、津川駅発。
津川駅の看板
汽車の出発が遅れてしまったため、上越新幹線にも乗り遅れる。
結局、職舎についたのは、夕方過ぎ。