・Blogで書けない一言日記


・3月30日

blog版一言日記に書いたように、携帯電話を溺水させてしまったことの後始末に追われて、接骨院で腰を診てもらうのが午後になったため、花見に出かけることもままならず、適当な近場に出かけた折に桜の花をいくつか撮ってきました。
(カメラを持って出かけなかったので、ガラホで撮影)
西武新宿線、東伏見駅南口。
東伏見稲荷神社参道鳥居。
東伏見稲荷神社参道鳥居をくぐって。
そこからの桜並木。
これは左の桜並木を逆側から撮った物
東伏見公園の桜の木
東伏見交差点の桜の木

・3月18日

そろそろ桜が咲き出したので、買い出しの途中で東伏見公園によって桜の花を撮ってきました。
こちらは咲き始めた桜の木
で、咲き出した桜の花をいくつか(細長い写真なのはガラホで撮ったため) 

・"ラブライブ!虹ヶ咲学園スクールアイドル同好会"#1「はじまりのトキメキ」
やっぱり、オリンピックが延期になったり、その煽りでコミケが三回中止になったりしたから、有明ビッグサイトってとうとう運営立ちゆかなくなって、学校法人に払い下げになったのね(違)……。
(虹ヶ咲学園の建物や内部構造が有明ビッグサイトに同じ)
せつ菜の失踪(だよな?虹ヶ咲学園スクールアイドル同好会解散の届け出も足したと思われるので)で燻る少女たち。
そんな中で、ゼロから立ち上がることを決めた歩夢だが、侑や燻る他の仲間とともにどこまで行けるのか?

・1月28日

しつこいようだが(それこそ天津を「愛情がストーカーじみていること」と評した人間がストーカーじみたしつこさを見せているのもなんだけど)
"仮面ライダーゼロワン"についてもう一つ。
前回の追記を書くに当たってラブライバーの元後輩とショートメールでやりとりをした(話の振り出しでラブライバーの元後輩の"仮面ライダーゼロワン"評を拝借しようとして、彼の作品評を誤解していたのを指摘された)折りに、

元後輩:「滅亡迅雷.netと和解できたのは偶然で普通に考えたら自我を持って暴走するロボットなんてそもそも明らかな欠陥品なのにそこに目をつぶる社長が何かおかしいだろって思ってたんで」

(中略。筆者の指摘への感謝と追記の修正の旨返信)

筆者:「汎用人型サポートユニットと機械生命体との区別が曖昧なのは自分もかなあ」
元後輩:「そもそも前提としてヒューマギアはただのサポート用のロボットですからね。本来なら自我を持って暴れたりしない。それが曖昧になったのは全部あの1000%のせいですけど」
筆者:「追記をアップしたけども、自分も手垢にまみれているのかなあ」
筆者:「その手の作品(筆者注:「機械(と敢えて言う)が意志を持って人間に反乱する話」で「その機械が最終的に良心を持って行動する」作品)を中途半端に知っていること」
筆者:「その前に工業製品、端的に言えば売り物としてのヒューマギアに思いを馳せるべきでした」


と、ここまで書いて、ふと思ったのが、
「『売り物としてのヒューマギア』の扱いが微妙に軽い、と言うか、根本的なところに目を背けているような……」
だった。

最初の敵時代(天津登場前)の滅亡迅雷.netの狙いが、
シンギュラリティーに到達して機能不全(おそらくゼアのコントロールから外れるのも含む)を起こしたヒューマギアにゼツメライザーを装着させてシステムクラックを起こさせてマギア化して破壊活動を行わせる
にあるし、
五番勝負で天津がとった戦法(と言うか策謀が)
ヒューマギアに激しい負の感情(=悪意)をぶつけてシンギュラリティーに到達させ、その機体に対してにゼツメライザーを装着させてシステムクラックを起こさせてマギア化して破壊活動を行わせる
にあった。
そして、
あるヒューマギアがシンギュラリティー(技術的特異点)に到達する=その機体が自我を持つ
上に
自我を持つ=汎用人型サポートユニットとしての機能不全を起こす(アニメの新作発表会でシンギュラリティーに到達してサボタージュを起こした声優型ヒューマギア・セイネの件が顕著)
でもって問題は、
(故意・過失を問わずに)強い感情をヒューマギアにぶつけてしまうと、シンギュラリティーに到達する(アニメの新作発表会でシンギュラリティーに到達してサボタージュを起こした声優型ヒューマギア・セイネの件が顕著)。
これを抱えていることなんだよなぁ。
故意にヒューマギアをシンギュラリティーに到達させる方法を知っていた天津はともかくとして、前述のセイネの件はユーザーの過失を問いにくい(「ヒューマギアの目的外使用」に引っかかるかどうかかなりグレーな分を差し引いても)し、他にも何かの弾みで強い感情をぶつけてしまってシンギュラリティーに到達して、汎用人型サポートユニットとしての機能不全を起こした。
と言う事例が頻発してもおかしくないし、その機能不全に対する手を打った気配がないのもおかしな話で……、

対策として、
・自我の発生による機能不全時の緊急停止機能の構築(これはうまく言ったためしがなかったが)
以外にも
・シンギュラリティーに到達しないよう、官公庁向けモデルや飛電インテリジェンス社内向けモデル以外のダウングレード(AI感度や学習方向の制限、学習速度の制限)の遂行。
と言う手もあるので、早い段階のうちに上記の案が福添副社長サイドから出て、
或人:「人とヒューマギアが共に『心から笑える』目的のために、前提としてヒューマギアに『心』を持ってもらうためにも、ダウングレード案は呑めない」
福添:「"滅亡迅雷.net"の工作がない状況でのシンギュラリティー到達(*1)による不具合の発生からなる暴走や社会的責任についてどうお考えか?大人げないことを言わないでいただきたい!」

イズ:「リコール(無償回収修理)に伴う損失、AIシステム再構築に伴う諸経費の発生、さらにダウングレードによるアクシデントへのリアルタイム適応不全(*2)による別な不具合の発生、さらにはアクシデントへのリアルタイム適応不全を阻止するための対応職種の制限など、現状維持による損害の発生以上の損失の計上が推測されますが
福添:「……、ならば別の対策をお願いしたい!」
イズ:「それは提案者(福添副社長)の義務ではないのでしょうか?」
福添:「……」

と言うやりとり(『商品としてのヒューマギア』『或人の夢のマシーンとしてのヒューマギア』のせめぎ合い)が一度くらいあってもおかしくなかったんじゃないかと思うけども、

最初の滅亡迅雷.netとの対戦時→シンギュラリティー問題への対処をする時間もなく一件落着
五番勝負→ダウングレードさせていたら確実に敗北するのでダウングレードによる対策を打てない(*3)。
飛電製作所時代→飛電インテリジェンスがヒューマギア事業を打ち切り、或人が飛電インテリジェンスとのしがらみもなく自身の夢(人とヒューマギアが共に『心から笑える』社会を作る)のに邁進するため、ダウングレード案は出さない。
アークの蜂起による社会の混乱と或人の飛電インテリジェンス社長復職時代→ヒューマギアに全力を出してもらうためにダウングレード案を出せる状況にない。


から、幸か不幸か現行モデルの続投が既定路線と言う結論に至ったんだけど。

それで以て、
『商品としてのヒューマギア』から"仮面ライダーゼロワン"の今後を考えると、
前回の追記で書いたように、
飛電或人の持つヒューマギア関連の特許権の有効期限が切れて、他の企業が汎用人型サポートロボット事業に参入して、ヒューマギアより心を持たない事による安定性と生産性と価格や維持費において上回る機種が登場して、ヒューマギアが汎用人型サポートロボット事業における市場争いに敗れて生産終了。
なんて事態になったときに、
『心を持った機械生命体としてのヒューマギア』がそれを受け入れて諦めて滅びを受け入れるか、それとも「座して死を待つくらいなら……」と人類に対して反乱を起こしてヒューマギア存続の賭に出るか、のどっちの道を取るかを考えると、
(短期的には或人も滅も相互不可侵の紳士協定を反故にしないし、「色々あったがヒューマギアには敬意を払う、少なくとも明確な理由亡き憎悪をヒューマギアにぶつけない」社会が到来したこともあって両者共存はできるだろうが)

長期的な見通しは暗い、

と取らざるを得ないんだよなぁ。

*1 因果関係が逆で「ヒューマギアがシンギュラリティーに到達したから、滅亡迅雷.netがシステムクラックを起こす」のであって「滅亡迅雷.netがシステムクラックを起こしたから、ヒューマギアがシンギュラリティーに到達した」のではない。念のため。
*2 現行モデルでも、俳優型ヒューマギアのギンジが大和田伸也のアドリブに対応できずにシステムフリーズを起こしたことがある。
*3 最後の五番目で天津にヒューマギアの弱点を暴露されて敗北、或人の失脚につながってしまったが。

・1月13日

しつこいようだが"仮面ライダーゼロワン"総括について。
前回
「手垢のついたテーマで、色々と『捌ききれなかった(扱いきれなかった)』感が強いなぁ」
と書いておきながら、
「手垢のついたテーマ」
について語っていなかったので、ヒューマギア回りについていくつか。
「機械(と敢えて言う)が意志を持って人間に反乱する話」
ってのはフィクションでよくある話(最近では"仮面ライダードライブ"のロイミュードや、"仮面ライダージオウ"キカイ編に登場するヒューマノイズ)で、
最終的に、
「その機械が最終的に良心を持って行動する」
ってのもフィクションではよくある話(こちらは"ルパン三世 グッバイパートナー"のもう一つの筋やエピローグなど)。
で、話がうまく運べていれば
「王道」
で評価されて済んだんだけど、
話の運び方のまずさが、
「手垢のついたテーマ」
と言う評価にしてしまったんだろうなぁ。
でもって、評価を低くした話の運び方のまずさ或いは
『捌ききれなかった(扱いきれなかった)』
ことについてもう少し。
或人の問題はblogにも書いたし、後は「フルワンオフ機で再生産ができない」イズの喪失を受け入れて乗り越えようとしながら、最終回で社長秘書型ヒューマギアに対してやったことも大概だが、
(よくあれで或人が「アズをイズと認識して耽溺、アークの意志のままに動き続けてヒューマギアとの相互殲滅を選択」しなかった物だと思う)
それ以上に問題なのは、
天津垓(=仮面ライダーサウザー)を味方にしたいが為の無理な後付けと、
(と言うか、飛電インテリジェンスへの愛情がストーカーじみていること。あれを「天津を『ネタキャラ扱い』して大目に見てくれ」と言われましても……)
(出さないと滅亡迅雷.netの体裁が整わないが)亡を出したいが為に(天津の悪辣さを表現するためと「デイブレイク災害直下では生き残れない」と言う指摘が多かったからか)不破の設定を「デイブレイク災害孤児」から「実は天津によって記憶を書き換えられてました」と変更したこと、
そこまでやって登場させたたのに亡を扱いかねて空気にしていること
と言う、
急な変更と、レギュラーキャラを出したまま放置したことが
『捌ききれなかった(扱いきれなかった)』感
の正体なんだと思う。
ついでに言うと、
福添副社長のことについても。
レギュラーキャラとしてある意味で彼だけが、キャラが一貫していた、
(飛電インテリジェンスという「会社」への忠誠に則った行動をとり続けた)
ような気がしてならないのだが……。
(後は、ブレではなく進化した迅当たりかなぁ)

追記(令和3年1月13日)
「人類が心を持ったロボットの反乱に敗れて人類滅亡」
というのはフィクションではよくある話、それこそロボットの語源となったカレル・チャペックの古典戯曲"R.U.R."からしてそうだった(*1)けど、
"仮面ライダーゼロワン"世界では、
人類代表の或人とヒューマギア代表の滅が相互殲滅を選択しかねないところを土壇場で踏ん張ったからそんなことにならない、
と言い返したいところではあるが、
世代が変わったり、人類・ヒューマギア両者の世論が変わったりすると一気に難しいことになるんだよなぁ……。
(殊に飛電有人の持つヒューマギア関連の特許権の有効期限が切れて、他の企業が汎用人型サポートロボット事業に参入してヒューマギアがその「心を持った機械に対する不安定さや忌避感」が原因で汎用人型サポートロボット事業における市場争いに敗れて生産終了=種の絶滅となったタイミングが一番ヤバいような気がする)
……と、ここまで書いたところで"R.U.R."(におけるロボットが心を持つに至った経緯など)を読み返そうと思ったけど、
部屋のどこに埋めちゃったんだろうorz……。
*1 「機械(と言うかロボット)が良心を得て真の生命に目覚める」と言う結末も"R.U.R."の結末の中にあったけど。もう一つ言うなら1920年に発表された作品なので"仮面ライダーゼロワン"放映中に発表100周年を迎えたのも偶然というか皮肉というか。